時速10kmでのんびり走る
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by りゃま
 
[スポンサー広告
真実をえがく
先日、同僚たちと飲んでいた際、最近観た映画の話になった。
同僚の一人は、久々に観に行った映画が期待外れだったと話してくれた。
彼女が観た映画は、主人公の女の子がツラい生い立ちのせいで、
どん底の人生を送っていたが、周りの人の助けを得て少しずつ希望を見出していく・・・と
いったあらすじのもの。
どこが期待外れだったかというと、主人公がなぜどん底の人生を送るに至ったかを
映画の中で「えがき」過ぎていた点、とのこと。
彼女いわく、「映画は見る側に想像の余地を残しておいてほしい。
あまりにも説明的すぎると、観客の想像の自由を奪うことになる。」
ううむ。なるほど。
映画の作り手側が、見る側の感情までコントロールしようとしたがる作品は窮屈だ。
いかにも泣かせようと作られている映画。
そんなの余計に泣けないよ・・・

などと考えていたら、以前ドキュメンタリー映画について(これも飲みながら)話していたことを
思い出した。
ドキュメンタリーと言えば、ノンフィクション、つまり作り物ではなく、
真実を描いていると思いがちである。
しかし、ドキュメンタリーは真実ではない、とある人が言った。
撮り手側の主観が多いに反映されているからだ。
真実の姿を描いているように見えて、実は意図的に作られた映像なのだ。
何をテーマにするか、どのような視点から撮るか。
同じ現象を捉えていたとしても、撮る側によってその内容は異なる。

じゃあ、真実って一体何だ?

真実は、その人の中にしかないのかもしれない。
その人が真実だと思うコトが真実なのだ。
きっとそう。


スポンサーサイト
Posted by りゃま
comment:0   trackback:0
[未分類
| HOME | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。